悲劇の美女!細川ガラシャゆかりの地【長岡京市・宮津市・京丹後市】

悲劇の美女!細川ガラシャゆかりの地【長岡京市・宮津市・京丹後市】

大河ドラマ『麒麟がくる』で主人公・明智光秀の家族にもスポットがあたっています!
今回ご紹介するのは光秀の娘、玉(たま)、後の細川ガラシャ。国民的な人気を誇る女優さんが演じていることでも話題です!!
なんとこのガラシャ、17世紀のヨーロッパでも超有名人であったことはご存知ですか? 彼女の美貌とドラマチックな生き様は東西問わず人々の心を打ちました。
当記事では京都府下にあるガラシャゆかりの地をご紹介します。

光秀の娘、玉(ガラシャ)が新婚時代を過ごした勝龍寺城@長岡京市

玉と忠興の輿入れ行列を再現した「長岡京ガラシャ祭」
現在は勝竜寺城公園として整備されている勝龍寺城
本名は明智玉(たま)または玉子(たまこ)といい、明智光秀の三女として生まれた戦国時代のお姫さま。 「ガラシャ」という名はキリスト教の洗礼名のこと。
織田信長の命によって細川藤孝(幽斎)の嫡男である忠興(ただおき)と天正6年(1578)に結婚、勝龍寺城で婚礼の儀を執り行いました。
その時、忠興と玉はともに16歳。新婚時代の2年間を勝龍寺城で過ごします。
公園内には二人の銅像も。

毎年11月の第2日曜日には、玉の輿入れ行列を再現した「長岡京ガラシャ祭」が開催されます。
ガラシャ祭は、例年6万人が訪れる長岡京市の一大イベントなんですよ!
2020年はコロナ禍により中止となりましたが、長岡京ガラシャ祭2020特別企画としてyoutube動画で、 激動の人生を駆け抜けたガラシャの物語を配信中です。
ぜひご覧ください!!
https://www.youtube.com/watch?v=9sh3XjP3Um0 

来館者6万人突破!「勝龍寺城歴史ミュージアム」

大河ドラマの放送をきっかけに、勝竜寺城公園管理棟が全面リニューアル。2019年、歴史ミュージアムがオープンしました。
「戦国乱世を駆け抜けた4人の物語」をテーマに、勝龍寺城ゆかりの光秀と娘・玉、細川藤孝・忠興にまつわる物語を映像やパネルでわかりやすく解説されています。
■■INFORMATION■■
勝龍寺城(勝竜寺城公園)
※歴史ミュージアムは勝竜寺城公園管理棟2階
075-955-9716(長岡京市公園緑地課)
長岡京市勝竜寺13-1
9時~17時
無休 JR「長岡京駅」から徒歩8分/京都縦貫自動車「長岡京IC」から車で5分

父・明智光秀宮津城へ招かれる!光秀や玉も眺めた!?絶景・天橋立@宮津市

天正8年(1580)、細川藤孝は丹後平定の恩賞として信長から丹後国を与えられ、玉は宮津へと移ります。
古より都人の憧れの地「天橋立」を擁する宮津に居城・宮津城を構えることは、文化人としても一流の細川家にとって大きなメリットでもありました。

大手川城壁(しらかべの道)。宮津城の外堀であった大手川沿いに城壁風の美しい白壁が復元されている
天正9年(1581)藤孝と忠興は宮津に光秀や一流の茶人や連歌師を招いて智恩寺(文殊堂)や船の上で天橋立の絶景を愛でながら茶会や連歌会を催したことが記録に残っています。
宮津城では久しぶりに玉と光秀が対面し、家族団らんのひとときを過ごしたことが想像されますが、 これが父娘の最期の別れになることは知るよしもありません。
カトリック宮津教会を背に、宮津城の方を見つめて祈りを捧げる美しき細川ガラシャ夫人像は、宮津市のシンボルとして親しまれています。
こちらは日本彫刻会を代表する彫刻家・山本眞輔氏が「祈り」をテーマに制作したものです。

▶「細川ガラシャ」ゆかりの地宮津・天橋立のプロモーション動画
『光秀と細川家 そして、宮津~明智光秀の娘『細川ガラシャ』ゆかりの地
  https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=2Py4Xch4DP8

■■INFORMATION■■
細川ガラシャ夫人像(大手川ふれあい広場)
宮津市字柳縄手344
0772-45-1625(宮津市産業経済部商工観光課)
見学自由
京都丹後鉄道「宮津駅」から徒歩10分/京都縦貫自動車道「宮津天橋立IC」から車で5分

“本能寺の変”で玉の人生が一変、味土野(みどの)へ幽閉@京丹後市

金剛童子山の山裾の秘境・味土野は標高400メートルのところにある集落
翌天正10年(1582)、父・光秀が“本能寺の変”で信長を討ち謀反を起こしたことにより玉は逆賊の娘となり人生は一変、宮津から姿を消します。
夫の忠興は世間から玉を隠すように味土野へ幽閉し、玉との離別を決意。
しかし、忠興は玉を愛するがゆえ豊臣秀吉からの信頼を取り戻すべく奔走します。
天正12年(1584)秀吉の計らいにより幽閉が解かれた玉は忠興と復縁。大坂玉造にある細川屋敷へ移りました。

味土野にある細川ガラシャ隠棲地の碑。ガラシャが幽閉された女城跡に立つ

その後、キリスト教に深く帰依し、「ガラシャ」という洗礼名を授かります。
慶長5年(1600)年、関ヶ原の合戦では人質となることを拒絶、自ら細川屋敷に火を放ち家来の介錯で自害。最期まで信仰を貫くのです。
辞世の句は「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」、享年38歳でした。
ガラシャの1周忌は忠興の願いによって教会で盛大に行われたそうです。
激動の時代を生き抜いたガラシャの人生に少しでも興味を持たれた方は、ぜひこの機会にガラシャを描いた小説などの創作物に触れてみてはいかがでしょうか。
■■INFORMATION■■
細川ガラシャ隠棲地の碑
京丹後市弥栄町須川
0772-72-6070(京丹後市観光公社)
見学自由
山陰近畿自動車道「京丹後大宮IC」から車で約40分
※野間基幹集落センター(京丹後市弥栄町野中2245-1)から碑のある味土野への道は狭隘で、 途中離合困難となっているため自動車の場合は要注意(野間基幹集落センターからは徒歩約60~90分)

★大河ドラマ『麒麟がくる』総まとめ記事もぜひチェックしてみてくださいね!

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